2018年1月26日金曜日

ルポ川崎

この前川崎で買った『ルポ 川崎』すぐ読んだ。
サイゾーの記事の時から更新を楽しみに読んでいたけど、紙でまとめて読むのめちゃいいですね、ってそれ以外にもいいたいことや思ったことなんてちょうあるけど全然言葉にできない!感想ってどうまとめるんだっけ?頭の中で色々渦巻いてウー…と思ってるここ数日だ。分かった気には絶対なれないしわたしも何かしたい、困ってる子どもがいれば手を貸したいって心から思うけど絶対思うだけで明日も暢気に床屋の予定だし。思ってるだけの自分が情けなくなる。

わたしの地元も工業地帯で、荒れる成人式が有名で、もはや様式美というべきか、エリザベス女王みたいな男たちが溢れかえるため全国ニュースでも流れて大人は眉をひそめるけど、このところ彼らには彼らの事情、そのほとんどの人がもう働いていて、こつこつお金を貯めてその日に目立つことを楽しみにしているって話もシェアされている。大学生になる子たちより早く大人になることを選んだもしくは強いられた人たちの、最後の子どもっぽく振る舞える場所なのかな、とわたしは感じた。結構切ないって思った。

『ルポ 川崎』にも成人式の描写があって
「川崎の不良たちは二十歳まで生き延びたことを祝っていた。そして、明日からまた日常が始まる。」
同じようにその日にはしゃぎ回る二十歳だけど、随分違うのだなとショックだった。切ないどこじゃない!死ななくて良かった、ってこと、現代日本で感じる人がいるの!?それ知らなかったわたしもやばくない?みたいな…
そして、その後著者が「十年後のことは考える?」って聞いたときの言葉もすごくて
「まぁ、遊んでるべ、このメンツだったら。どうなるかわかんないけどね。死んでるかもしれないし。みんないずれ死ぬんだよ。早く死んだほうが楽だよ」
もちろんどの町にもその町の子どもが抱えるリアリティはあるけど、この諦念っぷりってなかなかないんじゃないか(やっぱりわたしが知らないだけ?)
どうしてそう思うのかなんて、これ読んだらよく分かる。この街の子どもたちが過ごす日常のこと、どこか映画の中漫画の中みたいに一瞬思えてしまう、全然想像がつかないので。

大人になったら職人かやくざか塀の向こうという選択肢しか見えづらかった子どもたちに音楽やスケボー、ダンスなどの新しい選択肢ができて、コミュニティセンターもあって、BAD HOPが街を歩けば子どもたちが全貌のまなざしで見つめるっていうのはなんて感動的なんだろう。すごいかっこいい。大人のことが信用できない子どもってそんなのめちゃくちゃツライしその痛みを想像すらできないのだけど、その街の元子どもたちが状況を変えるってそうとう美しいなと思う。どこかで人ごとだと思ってるから手放しで感動して泣いたりしてるのかなって苦しい気持にもなるんだけど。って、どうしても最後は「でもわたしは家で本読んでるだけで何もしてないな」って苦しくなってしまう、ううう!

でも苦しくなるのは自分の事情であって、繰り返しのようになるけど結構胸がほっと明るくなるような希望みたいな箇所も多くて、ふれあい館の人がBark君に会ったよ、って言ってる下りなんてちょっとポ!となってしまった。はにかむ顔が見られていいな…
子どもが泣いてんだろ!とか、若い子たちには悲しんでほしくないって言ってる思っている大人がいることとか、家庭環境が悪すぎて性格がねじ曲がってしまった友人のことを、そいつとか救ってあげたい、って言う優しさとか、やったかやってないかは覚えてないしその程度の男だろってばかばかしい噂をたてる男に対して言い放つ強さとかものすごい真っ当だなと思う。真っ当なのに、そう言い切れる人の少なさよ!

この本を読んで、ああでもない、こうでもないって頭の中の整理をしている最中に、ECDの訃報を知った。真っ当な優しい大人が死んでしまったことが本当に悲しい。

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